石見曼荼羅観音霊場 客番 羅漢寺(らかんじ)
五百羅漢で有名な寺院である。
宝暦年間(1751~1763)石見銀山付村役人中村庄兵衛賀光と中場五郎左衛門定政は観世音寺の月海淨印和尚に帰依し、和尚の発願による石窟五百羅漢を造営して銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するため、当時の大森代官川崎平右衛門定考及び代官所役人、科内の村々、九代将軍の弟、田安中納言宗武の援助をを受けて、江戸城大奥の女中など多くの人々の寄進により明和3年(1766)3月、25年の歳月を掛けて完成した。
本堂天井の龍の絵は初代住職月海和尚が描かれたもの。
五百羅漢の作者は、坪内平七(明和4年~寛政10年:1769~1798)で号を利忠という。
大田市温泉津町福光の石工で石窟、返り橋など、すべて平七の設計により、石橋は主に本人が制作し、その他は坪内家一門と弟子たちの手によるものと伝えられている。
宝暦年間(1751~1763)石見銀山付村役人中村庄兵衛賀光と中場五郎左衛門定政は観世音寺の月海淨印和尚に帰依し、和尚の発願による石窟五百羅漢を造営して銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するため、当時の大森代官川崎平右衛門定考及び代官所役人、科内の村々、九代将軍の弟、田安中納言宗武の援助をを受けて、江戸城大奥の女中など多くの人々の寄進により明和3年(1766)3月、25年の歳月を掛けて完成した。
本堂天井の龍の絵は初代住職月海和尚が描かれたもの。
五百羅漢の作者は、坪内平七(明和4年~寛政10年:1769~1798)で号を利忠という。
大田市温泉津町福光の石工で石窟、返り橋など、すべて平七の設計により、石橋は主に本人が制作し、その他は坪内家一門と弟子たちの手によるものと伝えられている。

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