石見銀山 七福神 高野寺 寿老寿
大田市温泉津町井田の高野寺には寿老寿が祀られている。
高野寺は弘文5年(814)弘法大師は時の天皇の勅命を以て開創したと伝えられる。
永徳年間(1381~1384)の火災により焦土と化す。
永禄12年(1569)尼子勝久の兵火にかかるが毛利元就掌中にしている本尊の零告により防ぐことが出来る
享保18年(1733)春再び火災に罹り伽藍・僧坊・寺記・計宝ことごと焼失する。
百有余年を経て、万延元年(1860)に至り34代将海了知和尚が寺門を復興し、御室仁和寺五智院を兼務せしめられ、永代院家の班位に列する。
石見の高野山と称せらる寺院で格式も高く篤い信仰を得ている、寺院の壁は極彩色の壁画が施され、他では11番札所甘南備寺が在るだけです。
友人も幼いころ祖父に連れられてお参りしたことがあり、温泉津から徒歩で行き、宿坊で泊まったことを覚えているとの事。
忘れられない思い出だったのであろう。
高野寺は弘文5年(814)弘法大師は時の天皇の勅命を以て開創したと伝えられる。
永徳年間(1381~1384)の火災により焦土と化す。
永禄12年(1569)尼子勝久の兵火にかかるが毛利元就掌中にしている本尊の零告により防ぐことが出来る
享保18年(1733)春再び火災に罹り伽藍・僧坊・寺記・計宝ことごと焼失する。
百有余年を経て、万延元年(1860)に至り34代将海了知和尚が寺門を復興し、御室仁和寺五智院を兼務せしめられ、永代院家の班位に列する。
石見の高野山と称せらる寺院で格式も高く篤い信仰を得ている、寺院の壁は極彩色の壁画が施され、他では11番札所甘南備寺が在るだけです。
友人も幼いころ祖父に連れられてお参りしたことがあり、温泉津から徒歩で行き、宿坊で泊まったことを覚えているとの事。
忘れられない思い出だったのであろう。



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